鵜沼宿は江戸から数えて52番目の宿場町です。江戸時代は尾張藩領。脇本陣、町屋館の整備や景観重要建造物の保存改修、水路の復元などが行われ、江戸時代の宿場町の雰囲気が楽しめる。
『木曽街道 鵜沼駅従犬山遠望』英泉画
鵜沼宿は、江戸・日本橋から52番目の中山道の宿場です。江戸時代の往時をしのばせる町並みが再現されている。かての旅籠、大垣城の鉄門など古地図を基に復元された脇本陣など見どころが多い。
鵜沼宿駐車場
鵜沼宿駐車場(15台可)から鵜沼宿街道を探訪する。西の翠池登り口に東の見附跡(宿場の出・入口に備えた簡易な防衛施設)から東に向かうと左手に「丹羽家住宅」がある。ここは大阪屋という旅籠だったとのことです。
鵜沼西町交流館
市民の学習、保育、休養及び集会の供しや地域住民の福祉の増進を図るために集会場が設けられた。
安田家住宅(若竹屋)
安田家は、旅籠屋を営み「若竹屋」と称した。登録有形文化財です。
梅田屋住宅(茗荷屋)
梅田吉道家は、茗荷屋という旅籠を営んでいた家で、明治24年(1891年)の濃尾震災の際、この辺りで唯一倒壊を免れ、現在も江戸時代後期の建築を留めています。(どの建物も内部は非公開となっています。)
坂井家住宅(丸一屋)
江戸時代は丸一屋と称し、鵜沼宿で旅籠を営んだ家。現在の建物は明治27年に建てられたもの。宿場町建物は切妻屋根か多いが、この建物は寄棟屋根で宿場町の景観を一層ひきたてている。
二ノ宮神社
二ノ宮神社古墳
せせらぎ水路(防火用の水路)
脇本陣西隣に、二ノ宮神社がある。明治時代後期に建てられた境内の拝殿は、登録有形文化財です。また、同じ境内には6世紀頃の横穴式石室をもつ円墳が残されている。
中山道鵜沼宿脇本陣
鵜沼宿の脇本陣を務めた坂井家の建物の姿を現代に復元し、平成22年5月より公開されました。
芭蕉碑
貞享二年「野ざらし紀行途中鵜沼を訪れ脇本陣坂井家に滞在したと伝えられている。「汲溜の水泡たつや蝉の声」の句が詠まれた。
菊川酒造豆蔵
菊川酒造は、道鵜沼宿のほぼ中心に位置しています。敷地内には昔ながらの趣を残す古い建物が数多くあり、そのほとんどが現在も利用されており、この付近の重要な景観を形成しています。特に本蔵、豆蔵、一号・二号倉庫は、旧宿場町の景観を形成する重要な建物として、国の登録有形文化財、市の景観重要建造物に指定されています。
菊川酒造
一号二号倉庫
中山道鵜沼宿町屋館
旧武藤家住宅
中山道鵜沼宿の町並みのほぼ中央に位置する。平成18年、各務原市が武藤家から建物の寄附を受け、修復工事を経て、平成20年5月より中山道鵜沼宿町屋館として公開されています。市指定文化財・景観重要建造物に指定されています。
大安寺川大橋
江戸時代の鵜沼宿には、大安寺川に「八間橋」が架かっていました。現在の大安寺大橋の東側には木曾街道六十九次で描かれた鵜沼宿の浮世絵のレリーフが設置されている。
高札場
尾州領傍示石
赤坂地蔵堂
中山道うとう峠越
鵜沼宿を探訪して赤坂地蔵堂の交差点を右折して「うぬまの森」へ。宝積寺山から坂祝町勝山に延びる山域を越える峠が「うとう峠」です。鵜沼宿~うぬまの森まで標差74mほど登ってきたことになる。ここから、うとう峠越は800mほどの距離で標差-95mほど下ることになる。
うぬまの森・中山道うとう峠に
中山道うとう峠 一里塚
うとう峠越え
うとう峠は、鵜沼宿の西の難所。ほとんど人家がなかったようで、山賊などが行き来して、旅人にとっては恐ろしく寂しい場所だったようです。『うとう』とは、山と山との間を意味するようです。
JR高山線隧道に向かう
中山道は新たに敷かれた石畳の道で、よく整備されていて歩きやすい。山間の林をうとう峠に向かう。やがて「うとう峠」に着く。ベンチも設置がされ小休止をする。うとう峠から下りが続く。JR高山線の隧道をくぐり木曽川沿いの国道207号線に出る。
岩屋観音堂
県道207号線の歩道に沿って進むと岩屋観音堂入り口に出会う。ここで岩屋不動に立ち寄る。