中山道大久後から
中山道・大久後
苅安神社から大井宿まで山中の十三峠約8㎞を越えて延べ約10㎞で大井宿です。大井宿は江戸から数えて46番目の宿場町です。かつては美濃路随一の宿場として栄えた宿場。格式高い本陣の門や格子戸のある庄屋宅、黒壁の美しい旧家など、当時のにぎわいを見せた大井宿の様子がしのばれる。
中山道から瑞浪の屏風山を望む
権現山麓の苅安神社
鞍骨坂
権現坂(ここまで急坂を下る)
館音頭
苅安神社から大久後まで山中を権現坂・観音坂と標差58mほどを下る。途中に弘法様を祀る観音堂がある。
大久後からしばらく行くと通行止めの策がある。柵を越えていくと霊場礼拝碑と休憩東屋がある。馬頭観音を過ぎて馬頭坂を下ると分岐に出会う。
林道との分岐
霊場巡拝碑。休憩東屋
道から左に入ったところに馬頭観音
観音坂を下る
観音坂を下ると林道出会
大久後の向茶屋跡
分岐出会いから平たんな道となりしばらくすると、向茶屋跡がある。車道と出会い、曲がりくねった道を下ると中山道の道標碑がある。すぐに山道に入る分岐があり、ここが下座切場跡だ。
西坂 深萱追分
山形屋
藤村高札場跡
黒すくも坂
紅坂一里塚
びやいと茶屋跡
紅坂一里塚を過ぎて、田園が広がり びやいと茶屋跡を過ぎると車道の出会いとなる。しばらく民家のある道。
四谷集会場
みだれ橋
首なし地蔵
四谷集会場からみだれ橋を渡り、しばらくすると右側高台に首なし地蔵がある。怒った中間が地蔵の首を刀で斬りおとしたとされています。やがて広い槇ヶ根追分道標に着く。
西行の森
槇ヶ根一里塚
西行の石畳の下り坂
是より西・十三峠
十三峠は、瑞浪市から恵那市の旧中山道、大湫宿と大井宿の間、約10 kmにわたり上り下りを繰り返す峠です。やっとここで峠が終わり大井宿へ・・
大井宿は中山道69次のうち、江戸から数えて46番目の宿場町です。かつては美濃路随一の宿場として栄え、全国でも9番目の盛況ぶりだったそうです。格式高い本陣の門や格子戸のある庄屋宅、美しい旧家など、当時のにぎわいを見せた大井宿の様子がしのばれる。
中山道 広重美術館
歌川広重の浮世絵作品を中心に展示されている。歌川広重、渓斎英泉が中山道を描いた《木曽海道六拾九次之内》も所蔵している。
中野村庄屋
恵那市長島町中野地区にある中野村庄屋の家で、屋号は本酒屋。
信濃屋
大正元年の建築。明治の建築様式を伝える木造3階建。福沢桃介と貞奴、北原白秋も訪れた旅館。
日本最多の「桝形」
町並みは、横町・本町・竪町・茶屋町・橋場のそれぞれのまち外れで直角に曲がっている。宿場の特徴の「桝形」です。通常あっても一か所が多いが大井宿の桝形は六ケ所ある。なぜなのか諸説あるようで解っていないようです。
古屋家
江戸時代には大井村の庄屋を務めた家柄。
旅館 いち川
寛永年間(1624年~)より中山道大井宿で旅籠「角屋」を創業して400年近く続く旅館いち川。かって「角屋」と呼ばれた旅籠で、若山牧水・北原白秋など文人や墨客に愛された老舗。
中山道明治天皇大井行在所
長屋門
明治天皇行在所は、明治13年、全国の民情視察の一環で明治天皇が宿泊するため、当時の大旅籠を増築した施設です。宿泊された部屋や風呂、 便所などがほぼ当時のまま残っています。
中山道明治天皇大井行在所
白壁土蔵
白壁土蔵
大井宿 本陣跡
各宿場には本陣、脇本陣が置かれたが、建造物が遺存しているのは、大井宿本陣の正門と太田宿脇本陣ぐらいのものであるとのこと。大井宿本陣には江戸時代を通じて、西国大名が参勤交代の際に休憩することが多かったとされている。
御嶽が望める甚平坂
歌川広重「木曽海道六十九次之内 大井」
歌川広重大井宿のモデルとされている地の現在は、大井宿本陣から1.2㎞東で標差72mほどの甚平坂あたりではないかと想定されている。ここからは恵那山・御岳山が望める眺望の良い場所。