琵琶峠
中山道・琵琶峠西上り口
江戸時代当時の現状を残すすところが少なくなっているなか、釜戸町、大湫町・日吉町にまたがる13㎞ほどの中山道は、丘陵上の尾根を通ているために開発をまぬがれて原形をとどめている。特に、琵琶峠とする約1㎞は、八瀬沢一里塚や馬頭観音などが現存じ当時の面影が残されている。
昭和45年に石畳が確認される
往時を偲ばせる石畳
八瀬沢一里塚(江戸91里・京都43里)
琵琶峠と馬頭観音
細久手の弁財天から琵琶峠西上り口まで約2.2㎞。琵琶峠まで標差59mほどで石畳の道が続く。琵琶峠は、日本一長い石畳として中山道の名所(全長700m)。中山道の琵琶峠は名前も美しい。そしてそこにある石畳はさらに美しい。
石畳を東出口に向かう
琵琶峠東上り口
中山道二つ岩碑
二つ岩
大洞小坂・馬頭観音
大湫宿モデルの地
歌川広重「木曽海道六拾九次の内 大久手」
大湫町地域の中山道沿いにある母衣岩と烏帽子岩周辺をモデルに描いたとされている。農家の夫婦が背負い子に柴を背負い、坂を登ってくる風景とされている。
大湫宿
大湫宿は江戸から47番目の宿として、海抜510mの高地に設けられ、江戸へ90里半、京都へ43里半、美濃16宿の中で最も高く、それだけ急坂がつづいており、旅人も人馬役からも難所とされていました。
大湫宿脇本陣跡
高札所
皇女和宮御歌
皇女和宮が宿泊した本陣は現在小学校跡となり、皇女和宮が道中詠んだとされる歌碑が建っています。
大湫宿
「これよりいわゆる十三峠とやらんを越ゆべき・・・」観音菩薩や馬頭観音が宿内の無事と十三峠の安全を見守る。はじめて上る坂を寺坂といい、次を山神坂という。
平坦地でありかつ眺望の良いこの童子ガ根
八丁坂の終点が山神坂で十三峠の一つ
しゃれこ坂(八町坂)
曲りまがりて、登り下り猶三四町も下る坂の名を問えばしやれこ坂という右の方に南無観世音菩薩という石を建つ向うに遠く見ゆる山はかの横長岳(恵那山)なり。道標(道しるべ)を兼ねていた碑。
尻冷やしの地蔵尊への分岐
山道から一旦車道に出て左に折れて、すぐの右の山道に入る。
尻冷やしの地蔵尊
阿波屋の茶屋跡
三十三観音窟
曽根松坂を下ると「阿波屋のおつる婆の出茶屋跡」、そして「三十三所観音石窟」である。三十三観音窟の観音仏は人馬の道中安全を祈って建てられたもの。中山道にある石造物の中でも学問上貴重なものの一つとのこと。
曽根松坂
「少し下りてまた芝生の松原を登りゆくこと四十五町・・・赤土多し曽根松の坂という」。巡礼水は、念仏によって水が湧き出して生命が救かったと伝えられて「十三峠のお助け清水」として大切にされてきた。
権現山一里塚
樫ノ木坂石畳
苅安神社
権現山に登る
苅安神社
烏帽子岩にもたれる神社