本城山は関市と美濃市にまたがる標高423mの急峻な山です。山頂は眺望が良く、武儀全体が見渡せる。また山中には、白瀧・神瀧などの滝があり、不動明王が祀られ、浅間菩薩・行基等の伝承が残る。高沢山日龍峯寺への縦走路も通り、かつては信仰の山であったようです。
探訪日:01/09
本城山は関市と美濃市にまたがる標高324mの急峻な山で山頂は眺望がよい。本城山への最短ルートが八神ルートです。
小野城跡の本城山
弘法堂の横道
登山口
尾根道
登山口から尾根に上がり、20分ほど登ると休憩ポイントの着く。尾根の傾斜が緩やかになり休憩には最適な場所。
一心寺本堂
休憩ポイント
南尾根をトラバース
さらに15分程進むと本城山南側に位置する平地群に到達する。ここが小野城の南西端となる。
涸れ沢
小野城城郭図
尾根に合流点
本城山から東の尾根(大仏山への道)中間部に八神からの登山道と合流する。ここから左に折れて尾根伝いに本城山に向かう。
尾根を本城山に向かう
小野城の名残
楽々コース・直登の分岐
楽々コース(トラバース)と直登コースの分岐となり直登コースを登る。一段、二段、三段と登っていく。
直登ルート
ここから二段
あと三段
山頂までの登りが五段続くが結構急な登りです。あと一段の場所から右に入ると井戸跡がある。井戸から戻って最後の一段で本城山頂の標高423mへ。
井戸跡
あと一段
本城山岩峰(423m)
本城山山頂は小野城の主郭。南北10mほど東西30mほどの細長い曲輪で、大岩があり南の斜面は断崖絶壁です。東西500m、南北300mに広がる規模の大きな山城跡です。
本城山山頂
眼下に八神登山口
山頂から御嶽山を望む
大仏山に向かう
本城山山頂から下山は大仏山・高沢山を経由して、日龍峯寺に下山ルートです。大仏山を過ぎて高澤古道と合流して高沢山に向かう。
大仏山山頂三角点は反射板囲い内に
見坂峠の高澤古道の分岐
古道漂う道
高澤古道と合流して尾根を西へ行くと小仏がある。標高360m地点を過ぎて南東に折れて高沢山を目指す。
小仏
尾根藤谷側見晴らしベンチ
高沢山(360m)
高沢山には日龍峯寺分岐を直進して登りあがると高沢山に着く。立ち木で見晴らしがない。分岐まで戻り日龍峯寺へ向かう。
日龍峯寺参詣道
龍人の池
多宝塔
鎌倉時代、時の尼将軍・北条政子によって建立されたという多宝塔が残されており、国の重要文化財にも指定されています。
千本桧
樹高おおよそ20m、根本の回りは3mを超える巨木。根元より無数に分かれた枝葉は千本桧です。両面宿儺が山の折杖として使用された桧杖が、千本の枝葉群立したとされている。
大日山日龍峯寺本堂(本尊:千手観音菩薩):本堂五間四面入母屋造り桧皮葺で山頂傾斜地の岩上に建立。前方は舞台造りで京都の清水寺によく似ており、美濃清水の異名で世に知られています。鎌倉尼将軍寄進の本堂は惜くも応仁文明の乱により戦火の犠牲となり現在の本堂は寛文十年(江戸時代)の建造物です。(県指定・市指定文化財)
大日山日龍峯寺本堂(本尊:千手観音菩薩):本堂五間四面入母屋造り桧皮葺で山頂傾斜地の岩上に建立。前方は舞台造りで京都の清水寺によく似ており、美濃清水の異名で世に知られています。鎌倉尼将軍寄進の本堂は惜くも応仁文明の乱により戦火の犠牲となり現在の本堂は寛文十年(江戸時代)の建造物です。(県指定・市指定文化財)
関市上之保の美濃川辺線(県道80号線)見坂峠からの登山開始。この道は、昔は高澤詣で(高澤古道)の人々が歩いたまさに古道漂う道です。
見坂峠登山口
登山口から登るとすぐに石像と石碑がある。石碑は「関越えてここも藤しろ御坂かな」と彫られた飯尾宗祇の句碑です。この句碑から40mほど参詣道を進むと左手に第14番の石仏が建つ。石仏は高澤観音本殿裏にある御手洗の岩場まで続く。
古を感ずる石仏(14番石仏)
古道の脇に石仏
石燈籠
富士山・立山・白山の大権現碑
33番石仏(西国三十三霊場を巡礼し建立)
本城山への分岐
大仏山三角点は反射板囲い内
登山口から700mほど標差150m登ると本城山との分岐に出る。ここで大仏山に立ち寄る。反射板のネットが張られそのわきに大仏山の標識があるが、三角点は反射板囲い内にある。ここから本城さんまでは、八神ルートを参照願います。