歴史と登山が楽しめる山!!

 伊吹山南麓一帯に展開する京極氏の本城・上平寺城跡。京極高清が山麓に館を構えたときに、戦に備えた「詰の城」として整備されたのが上平寺城です。北国脇往還を押さえる要地にあることから、高清築城以前にも砦あるいは寺院遺構があったと考えられている。上平寺城跡を探訪ごに歴史と自然の道をさらに登り弥高山(838.7m)に登る。ここは伊吹山の南尾根で五合目となる位置です。
 探訪日2020/03/06

伊吹神社石柱

 伊吹神社石柱前の小水路が内堀で、京極氏館と城下を区画する。ここから伊吹神社に入る。境内地一帯が京極氏館です。入ると右手に薬師堂があり、薬師堂の上段は弾正屋敷。その向かいに隠岐屋敷がある。いずれも京極氏の一族の屋敷跡と推定される。

薬師堂

弾正屋敷跡

京極氏館跡

 隠岐屋敷には道に洽ってL字の土塁がめぐる。さらに、蔵屋敷などの広大な屋敷跡があり、道の突き当たりの鳥居の右側下段が京極氏の屋敷跡です。京極氏が愛でた広大な庭園跡がある。ここの道の突き当たりに伊吹神社の鳥居がある。

隠岐屋敷跡

蔵屋敷跡

伊吹神社鳥居

 京極氏館庭園跡上段の伊吹神社の脇には京極氏一族の墓所がある。ここに墓の五輪塔で上平寺城絵巻にも御廟所の記載があり、もともと京極高清の墓石があったとされる。

神社への石段

京極氏一族の墓

上平寺城跡へ

 伊吹神社鳥居の手前を左に入ると登城道で山城を目指す。小沢を渡って等高線の狭い尾根に向かう。標高405mまで登ると尾根に上がる。

小沢を渡っていく

尾根に向かう登城道。

畝状堅堀

 七曲と呼ばれる急な山道を登り(畝状堅堀)、道の脇に巨大な竪堀が見え隠れしはじめる。さらに進むと山道はこの竪堀を分断して、すぐに上平寺城最大の曲輪に取り付く。この曲輪先端部に展開する11本の 放射状の竪堀群によって、敵の攻撃は分断される。

敵の攻撃は分断される

堅堀群

三の丸への虎口

 三の丸をすぎると樫堀があり、土橋を渡って両側を土塁で遮断された空間に入りこむ。さらに正面に土塁が築かれており、敵は前面と左右を土塁で囲まれた狭い空間に入り込んでします。

三の丸跡

二の丸への堅堀土橋

二の丸への土塁

 両側の土塁で囲まれた狭い空間を過ぎると二の丸の虎口となる。土橋から二の丸までは敵から守るための枡形遺構がみられる。

二の丸の虎口

二の丸

最高所の主郭

 二の丸から厚くて高い土塁に守られた曲輪が連続し、最高所の主郭との間には東西に長大な竪堀が設けられている。主郭へは帯郭から登る。主郭からの眺望は、冠雪の伊吹山が見え、また、西に隣接する尾根上には弥高寺の広大な坊跡群が展望できる。

長大な竪堀

主郭

 上平寺城跡は、伊吹山(1377m)から南へ伸びる刈安尾と呼ばれる尾根の先端に築かれ絶景の場所です。

巨大な堀切と土橋

 主郭背後の巨大な堀切には、ひと一人がやっと通れる土橋を設けて尾根を断ち切っている。

弥高寺の広大な坊跡群

弥高山へ向かう

先日の降雪

伊吹山が近くなる

弥高寺本坊跡分岐

弥高山から伊吹山

 主郭北側堀切から標差190m、距離が960mほど登ることとなる。先日の降雪で10㎝ほどの積雪があった。標高820mに登りあがるまでは急登となる。弥高山は伊吹山への五合目の位置となる。

弥高山山頂

伊吹山ドライブウェイの尾根

南方面に霊仙山
南方面に霊仙山