江濃の境目・国境の長比城!!
長比城跡は、伊吹山より派生する滋賀県と岐阜県にまたがる野瀬山の山頂に位置しています。米原は江南の六角氏と、京極氏、さらに浅井氏の境に加えて、東側で美濃国と接する国境地帯であったため、国境警備隊の山域「境目の城」が多く構えられていた。長比城(たけくらべじょう)もその一つです。
探訪日2020/04/10
長比城が「境目の城」「国境の城」としてその性格を一層明確にしていくのが、元亀元年(1570)の浅井長政による織田信長の離反です。元亀元年四月、織田信長は朝倉義景を討つため三万余の大軍を率いて越前に攻め入り、金ヶ崎城を攻略した。ところがこの時、信長のもとに妹お市の方の婿である浅井長政が反復し、朝倉氏と結び信長を攻撃してきたのである。信長は、朽木越えで京都に逃れ、最大の危機を脱したのである。野瀬山登山で探訪です。
旧中山道
中山道から旧東山道
長比城登山口へ
長比城・野瀬山ルート
神明神社
登山口
整備された登山道
秋葉神社
柏原の町
尾根道を登る
アセビが満開
山頂への案内板
標高300mの台地
山頂に向かう尾根
癒されるミツバツツジ
山頂近し
樫堀
土塁
長比城の遺構は、大きく東と西の曲輪(郭)からなり、「別城一郭」を呈している。西側の曲輪は、東西約50m、南北約30mの規模を有している。残存状況が良く、ぶ厚く高い土塁が巡り、東側に食違の虎口を設け防御している。東側の食違の虎口を抜け、少し登ると東の曲輪へと続く。西の曲輪よりひと回り大きく、東側の土塁はぶ厚く高い。東側と北側にくい違いの虎口を設けており、東側(美濃側)を意識した構造となっている。
西曲輪の虎口
西曲輪
西曲輪東の食違虎口
東の曲輪への細い尾根
東曲輪の虎口
三等三角点(野瀬山)390.9m
遠望に霊仙山
東曲輪の主郭・長比城跡
主郭東側の土塁はぶ厚く高い
主郭南の虎口
主郭東の食違虎口
主郭東の美濃側へは急傾斜
主郭東の美濃側の曲輪
東曲輪土塁上から伊吹山
青龍寺・徳源院
京極家墓所
徳源院境内のしだれ桜
徳源院境内の三重塔
柏原宿と遠望に長比城の山
柏原宿路地