小谷城は、東浅井郡湖北町伊部にある戦国時代の山城である。日本五大山城の一つに数えられる国指定史跡の名城です。
浅井亮政は、北近江の守護大名京極氏の被官で、小谷城西麓の丁野を本拠としていた。大永3年、浅井亮政らが 京極氏の跡目争いに乗じて国人一揆を起こしたのをきっかけとして、やがて主導権を 握り北近江を支配するようになります。 小谷城はこの頃築城されたのではないかと考えられます。
小谷城跡を探訪しながら小谷山(495m)に登る。
探訪日2020/02/10
戦国ガイドステーションから出丸入り口から入り尾根を登ると出丸跡に着く。出丸は小谷城主郭尾根の最先端に位置する独立した砦。2重の土塁と2段の曲輪が残っている。出丸から車道を横切って急坂の道を登る。
出丸入り口
出丸跡
急坂の追手道
急坂の追手道を登ると間柄峠に出る。間柄峠は武将真柄備中守が守った所で、その名を取ったとされている。間柄峠を過ぎると林道と合流する望笙峠に出る。琵琶湖と竹生島が眺望できる。
間柄峠
望笙峠(ぼうしょうとうげ)
琵琶湖と竹生島
琵琶湖と竹生島
金吾丸
望笙峠を越えると車道は終点となる。六角高頼が小谷城を攻めた時、越前の朝倉がここに布陣したとされる金吾丸跡に立ち寄る。ここを過ぎると登城者の検問所である番所がある。
番所跡
番所から虎御前山展望に向かう
御茶屋跡
番所跡のすぐ上にある曲輪。曲輪の真ん中に土塁も見られ軍事施設。
展望所から
展望所からの伊吹山の山容が印象的です。
馬洗池
往時は年中水が絶えなかったとのこと。
御馬屋
三方が高い土塁で囲まれた曲輪。馬屋があり馬関係の一画。
首据石
天文二年一月、初代亮政は六角氏の合戦の際、家臣の今井秀信が敵方に内通していたことで神照寺に誘殺し首をここにさらしたと伝えられている。
桜馬場跡
広くて展望の良い場所。大広間跡の前にある曲輪。浅井氏家臣供養塔がある。
黒金門跡
大広間に設けられた重要な門。「黒金門」と呼ばれているところから鉄を打ち付けられた扉であったと考えられる。
大広間跡
別名「千畳敷」と呼ばれ長さ85m・幅35mで前面に高さ約4mの石垣が組まれている。井戸跡や蔵跡が確認されている。
石垣も残されて上段が本丸
本丸跡、江戸時代中期の絵図に「天守共 鐘丸共」と記されているとのこと。
小谷城本丸
小谷城本丸
大堀切
本丸の北にある大規模な堀跡で尾根を大きく彫ってある。番所跡から本丸跡までとその上を区切るため。
中丸虎口
中丸跡
中丸跡に石垣が残る
刀洗池
京極丸跡
京極氏の屋敷があったとされている。大広間に次ぐ広大な曲輪です。ここを過ぎると壮大な石垣である大石垣に出る。小丸跡は、二代城主久政が引退後居住した。天正元年に京極丸より羽柴秀に攻められ自刃した。
小丸跡(二代城主久政が引退後居住した。)
大石垣
山王丸へ
小丸跡から標高400mに小谷城の詰の丸である山王丸に出る。破城の痕跡が残る石垣の石が散乱している。山王丸跡は展望の良い場所だ。
山王丸跡
山王丸から滑りやすい堀切の雪上を下る。鞍部に下り清水谷を詰めてきた道を合わせるところが六坊跡。
六坊址
浅井長政の時代、領国内にあった6つの有力寺院の出張所が置かれたところ。南側の土段には石垣がみられる。
六坊跡から急階段の登りになる。息の切れそうなころに平坦な大嶽城跡の小谷山山頂に着く。
大嶽(おおずく)城跡
初代亮政が大永三年(1523)頃に築城したと考えられている。大永五年には佐々木六角氏に攻められている。天正元年(1573)織田勢に攻撃を受け落城。
小谷山の山頂に造られた曲輪です。主郭の周囲には孤を描くように横堀や段々状の曲輪が造成されている。
小谷郡上町地内から伊吹山
小谷郡上町地内から伊吹山