戦国時代にタイムスリップ
一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国大名朝倉氏の城下町の跡。一乗谷城を国の特別史跡に指定されました。諏訪館跡庭園・湯殿跡庭園・館跡庭園・南陽寺跡庭園の四庭園が特別名勝に指定され、また遺跡出土品の数々が重要文化財に指定されました。(2020/10/02)
中の御殿跡:朝倉景義の実母「光徳院」の屋敷と伝えられている。この高台は、南陽寺跡や諏訪館跡とならんで義景時代の華やかな生活の場所。
南陽寺は、朝倉の子女が入寺す禅宗の尼寺で、戦国期には「金碧奪目」と称されるほどの豪華さを誇ていた。室町幕府15代将軍となる足利義昭をもてなすために庭前の糸桜の下で観桜宴(歌会)が開かれたと伝えられている。
瓜割清水は広さは約80㎡あり、古くから朝倉氏の御前水に供したと伝えられている。
英林塚は、戦国大名朝倉氏初代孝景のお墓です。「英林」という名は、孝景が出家した時の名です。
一乗谷朝倉氏庭園跡
「一乗谷朝倉氏庭園」は国の特別名勝に選ばれている、戦国大名・朝倉氏の館跡に残る庭園群。また一帯は「一乗谷朝倉氏遺跡」として国の特別史跡でもある。
朝倉氏舘唐門
唐門は館跡の正面、道に面して建っており豊臣秀吉が朝倉義景の菩提を弔うために寄進したものと伝えられる。
巨石を積み上げた入り口があり、中を見通せないよう、矩折状に造られている。
谷が最も狭い地点に土塁が築かれ、城門とされていた。
復原町並・武家屋敷群
復原町並は、塀に囲まれた重臣の屋敷が並び、計画的に造られた道路をはさんで、武家屋敷や庶民の町屋が成形されていた様子が再現されています。
一乗山の山頂を利用して築かれた一乗谷城は、その稜線上に本丸、二の丸、三の丸を据えた連郭式の山城です。それらの曲輪それぞれが空堀と土塁に囲まれている。空堀・遺跡が見ることができる。登り所要時間1時間
一乗谷史跡公園センターから一乗川に沿って八幡神社に着くと馬出ルートの登山口案内板がある。しばらく進むと左に折れる分岐があり左に折れて、馬出ルートに入る。
少し登ったところに小見放城がある。小見放城は、朝倉氏の本拠一乗谷東側を守備するために築かれた城砦群の一つ。一乗谷城から続く支尾根を深い堀切で遮断して城域を確保している。
小見放城から急登が続く、がやがて岩壁に線刻された摩崖仏に出会う。地蔵菩薩が刻まれています。
急登も八幡神社登山口から800m(標高290m)位までくるとやや緩やかになる。しばらくすると、ふたたび急登となりやがて英林塚分岐(標高426m)となる。
急登も八幡神社登山口から800m(標高290m)位までくるとやや緩やかになる。しばらくすると急登となり英林塚分岐(標高426m)となる。
一乗城で最も広い平坦地で、広さは約1500㎡。十数個の大きな礎石が露出している。「一乗谷古絵図」では、万畳敷跡とされているとか。
千畳敷跡の南に接して、三方が土塁で囲まれた平坦面。棟石が残されて、何らかの建物が建っていた。
宿直跡(とめいあと)は、観音屋敷跡の西南方に宿直跡がある。観音屋敷からの通路には石垣土塁の虎口がある。
広さ約1100㎡の楕円形で、南西側裾には空堀を設け、東南方の二の丸側には、堀切がある。
一の丸とは堀切で区画されている。南西側には堀切があり、土橋を渡ると尾根筋には「伏兵穴」と呼ばれる窪みが多数確認される。
三の丸は、コ状に細長い曲輪です。標高473.58mの基準点のある曲輪がここの中心と見られる。北曲輪と中央曲輪は、堀切によって区画されている。南曲輪との間には堀切がある。また、空堀が巡っていると見らる。