Larutan

 あゝ野麦峠・美女峠編 

 
 明治から大正にかけて、外貨を稼ぐ手だては、生糸でした。養蚕が日本を支えていた時代、その陰では10代、20代のうら若き製糸工女たちの悲惨な生活がありました。
  あゝ野麦峠・女工哀史の道を尋ねてウオーキングを楽しもうと「美女の伝説の道」を尋ねました。
ウォーキング:04/09

 明治から大正にかけて、外貨を稼ぐ手だては、生糸でした。養蚕が日本を支えていた時代、その陰では10代、20代のうら若き製糸工女たちの悲惨な生活がありました。
  あゝ野麦峠・女工哀史の道を尋ねてウオーキングを楽しもうと「美女の伝説の道」を尋ねました。
ウォーキング:04/09

女工哀史の道を尋ねてウォーキングルート

出発点の桜ヶ岡神社

出発地の桜ヶ岡八幡神社のすぐ先の了心寺付近は宿場町です。当時の掲示板の役目を果たす高札場がある。「江戸まで四十三次八十五里」(約340km)。「 高札場」からが山道の入り口です。

了心寺

高札場

旧江戸街道

橋場跡

糸の道観音像

旧江戸街道・梅村用水標識

高札所から山口川に架かる橋場跡の橋を渡り山口川に沿って細道を行く。やがて糸の道観音像がありここから山腹に入る。山口町南東の山に向かい塩屋町からの隧道上に登ると見晴らしの良いところに出る。ここから白山が望める。

 隧道上から白山を望む

 隧道上から白山を望む

ここから山中に入る

標高908mをめざして登る。その先に美女峠山(三等三角点984.8m)がある。

関屋跡

ここに関所の門番所があった場所

ふるさと展望所

ここに展けたふるさとをじっとみつめていると、何かこみあげてくるのです・・

ふる里を眺めて何思う

ふる里を眺めて何思う

雨乞平

旱魃(かんばつ)時、ここに集まり八百比丘尼に願い、大きな火を焚き鉦を打ち鳴らし雨乞が行われた場所。

幕の松

永禄7年(1564)武田が飛騨を攻めた際の陣跡といわれる。

茶接待所跡

雨乞平から茶接待所跡までは10分ほど。茶接待所跡は、右手に小屋が建ち、礎石が残っている。

茶接待場所は広々とした空間

広々としてシラカバ林の中にログハウスの休憩所もある。

旧美女峠

「美女峠」という名称の由来は、昔この山中に容姿のすぐれた尼様が住んでいたからだという説がある。

山道

茶接待所跡でゆっくりした後、ここから広い道の平坦な林道を美女峠に向かって歩いていく

餅売り場

八百比丘尼がこの辺りに茶屋を開いて餅を売ったという。

比丘尼屋敷入口

この峠に美しい比丘尼が住んでいた。何百年たっても少しも年をとらず、八百比丘尼と呼ばれた。

八百比丘尼屋敷跡

八百比丘尼屋敷

三等三角点で標高984.8m、基準点名:美女峠

 
ビューポイント・美女峠を過ぎてやがてT字路を右に曲がると景色が開け、前方には乗鞍岳、北アルプス、御嶽山と雄大な展望が見える。絶景の場所である。

絶景ポイントから乗鞍岳を望む

絶景ポイントから乗鞍岳を望む

三角錐の笠ヶ岳が印象的

三角錐の笠ヶ岳が印象的

旧江戸街道石柱

北アルプスの山並みの展望を楽しんだ後、右手には山、左には谷を見下ろしていく。

スギ林の

自然を満喫して歩ける。杉木立の中を抜けて美女高原に向かう。

神力不動

以前は、清涼な水が湧き出ていたそうな。高根にあった石仏不動尊をここに移して祀られる。

旧江戸街道入口石柱

神力不動から約1.6㎞ほど下ると旧江戸街道入り口の石柱がある。この辺りが国土地理院に記載のある美女峠かな?。

美女高原から乗鞍岳を望む

標高830mの高原で美女ヶ池があり木道を歩いて自然を満喫できる。

美女ヶ池・八百比丘尼伝説の池

美女高原には美女ヶ池や遊歩道もあり、展望台からは乗鞍岳の展望がビューポイント。

ミズバショウ

美女ヶ池の遊歩道を巡るとミズバショウを見ることができる。

旧江戸街道を見座集落へ

見座集落の案内板に沿って沢の木橋を渡り、雑林のなかを行く。

案内板に沿って沢の木橋を渡る

ここから380mほど進むと林を抜けて見座集落になり、うば坂に着く。

歴史の道・うば坂

比丘尼が玉のような美しい子を連れていた。その乳母に見座村の某女が頼まれて、毎日通っていたので、「うば坂」と言うそうだ。

朝日町小瀬(こせ)地内を道の駅へ

うば坂を600mほど下り、金峰神社のある見座の集落に出る。朝日町小瀬から国道361号に合流。

遠望に乗鞍岳を望む

飛騨川と並行をするように東に進路をとると前方に乗鞍岳を眺めながらまっすぐ延びた道を行く。

道の駅「ひだ朝日村」

飛騨製糸工女の歩いた道を高山了心寺から朝日町見座地区の道の駅「ひだ朝日村」まで

今回は、飛騨製糸工女の歩いた道を高山了心寺から朝日町見座地区の道の駅「ひだ朝日村」まで約12㎞をウォーキングしました。無雪期でも大変な道程でしたが、積雪期ともなると、とてもとても・・・