中山道甚平坂、この場所は、歌川広重の浮世絵版画「木曽海道六拾九次の内 大井」のモデルになった所ではなかとされています。ここから北側、東側を見ると御嶽山、恵那山を望むことができる。甚平坂を下り岡瀬澤に向かう。

岡瀬澤川を過ぎたところに岡瀬澤の永代燈がある

県道410号線を行くと恵那市と中津川市境に石道標がある

天正6年ごろ施釉陶器を焼いたのがはじめとされている。茄子川焼

広久手地内に入ると北方向に笠置山・二ッ森山が望める。

広久手集会所から870mぐらいで篠原茶屋本陣跡(美濃屋)に着く。篠原家は茄子川村の村方役人、皇女和宮や明治天皇もここで休息された。

県道410号線を東に進む

尾州白木改番所跡(抜け荷の監視・量目の点検と厳しい取り締まりがされた)

尾州白木改番所跡から250mぐらい先に茄子川村の高札所跡がある

県道420号線の隧道を抜ける

県道420号線の隧道を抜けると坂本立場跡

将監塚(岡田将監善同の墓)

坂本神社八幡宮

 将監塚から千旦林村の高礼場跡を過ぎ中平地内を1.4㎞ほど進むと、大きな鳥居のある坂本神社八幡宮に着く。ここからやや下り坂となり550mほど進むと六地蔵石幢に着く。

千旦林村の高礼場跡

六地蔵石幢

先は中津川IC ここから迷いやすい

 六地蔵から400m位すると中津川の国道19号線に出る。側道を通り257号線の会所沢信号を左折して次の交差点を左折すると旧中山道に出る。

上宿の一里塚

左 苗木道・右 中山道

こでの木坂

石仏群

駒場の高札所跡

はざま酒造

江戸時代を偲ぶ歴史さんぽ

 中山道中津川宿は、江戸から45番目の宿場町。交通の要衝であることから東美濃地方随一の商業のまちとして栄えた宿場。
 

中津川宿本陣跡

中津川宿脇本陣跡

本町広場・奥に駐車場有

松霞堂・桝形の角地横町から下町にかけて街角を直角に曲がる桝形は、本陣や脇本陣のある宿駅を直線的に見渡すことができないように造られている。

中津川村庄屋跡・曽我屋住宅

中山道 大鋸

四ツ目橋から遠望に前山と恵那山が

間宮大正の蔵 東美濃随一の豪商間杢右衛門の屋敷跡

中津川宿 往来庭


 文久2年(1862)、長州藩士桂小五郎は、京都に向かう藩主、毛利慶親の行列を待つ間、幕吏の目を逃れて中津川の間秀矩や、市岡殷政の好意で、ひそかに 料亭「やけ山」に隠れ待機した。その「やけ山」があったのが、この付近だといわれている。

式内恵那山道碑場所

旧中川家(杉本屋)

高札場・芭蕉句

広重が描かれた風景 

 中津川宿のモデルとされる地の現在は、中津川に架かる中津川橋あたりからの構図ではないかとされている。