新茶屋・是より北 木曽路碑
正岡子規句碑
馬籠城跡
この先に馬籠宿
新茶屋から正岡子規句碑、馬籠城跡を通り1.5㎞ほどで馬籠宿に着く。
馬籠館
馬籠館前
石屋坂を行く先に桝形
阿弥陀堂
水車小屋
常夜灯
清水屋資料館
槌馬屋資料館
藤村記念館・島崎本陣跡
藤村記念館は、明治・大正・昭和の三代にわたって活躍した文豪、島崎藤村の出身地、木曽谷の最南端にある文学館です。
郵便局ギャラリー
大黒屋・40年間書き続けた「大黒屋日記」
馬籠脇本陣史料館
高札所
馬庭上陣場・遠望に恵那山
右手には高札場(復元された)があり、その先に広い馬庭上陣場(展望台)がある。東の方角に標高2191mの恵那山が展望できる。
左旧中山道・足場は地道
島田川の橋を渡ると水車塚の碑に
水車小屋
梨子ノ木坂
水車塚の碑から島田川のせせらぎが聞こえる梨ノ水坂を上る。アスファルト舗装された旧道の細道を上ると、戯曲作家の十返舎一九の句碑がある。
十返舎一九の句碑
今井家住宅
旧峠村・旧旅籠桔梗屋
熊野神社
馬籠宿モデルの地
溪斎英泉「木曽海道 馬籠驛 峠ヨリ遠望之圖」モデルとされる地の現在は、馬籠峠から西の方角を眺めたものではないかとされています。
妻籠モデルの地
歌川広重「木曽海道六十九次之内 妻籠」妻籠のモデルとされる地の現在は、馬籠峠(標高790m)附近から、東の妻籠宿方面を眺めた構図とされている。奥に見えるのは南木曽岳ではないかと
石畳
一石栃白木改(木材・木工品などの出荷取締り)番所は、明治2年まで、木曽五木(ひのき・さわら・あすなろ・こうやまき・ねずこ)をはじめとする伐採禁止木の出荷統制のために設けられたもの。
一石栃白木改番所跡
立場茶屋
庚申碑
倉科租霊社
石畳は森の中
旧下り谷村
庚申碑:庚申の日は60日毎に巡り、年に6日ありこの日の夜に人々が集まり、徹夜で念仏を唱えたり世間話をして、朝に解散する風習があったとされる。
庚申碑
民宿こうしんづか
水車小屋
大妻籠
大妻籠旧旅籠
江戸時代の街並み・妻籠宿
妻籠宿は、中山道42番目の宿場で、長野県木曽郡南木曽町の蘭川東岸に位置する。全国で初めて古い町並みを保存された宿場町。国の重要伝統建造物群保存地区に選定されている。隣接する馬籠宿と、馬籠峠を越えて木曽路を代表する観光名所として、訪れる旅人が多い。
妻籠宿
妻籠宿は中山道と飯田街道の追分に位置する交通の要衝であった。古い町並みを保存した宿場町で、現在、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
尾又おしゃごじさま
蘭川に架かる尾又橋・コンクリート橋
寺下の町並み
日本で最初に宿場保存事業が行われた寺下地区。妻籠宿保存の原点の街並み。
上嵯峨屋
18世紀中期の木曽宿(つきんやど)とのこと。
延命地蔵
光徳寺住職・中外和尚が地蔵尊像の浮かび上がっている岩を蘭川から運んできて安置された。
下桔梗屋
当初、長屋であったもの。妻籠宿における庶民の住居を代表する形式をとどめている。
光徳寺
妻籠宿愛する会事務所
妻籠宿本陣
大名などの宿泊所として幕府に指定されていた。島崎藤村の母の生家であり、最後の当主は藤村の実兄で、馬籠から伯父の所へ養子に来た広介でした。
脇本陣 奥谷
代々脇本陣・問屋を務めた家。島崎藤村の初恋の人と言われる「ふゆ」あんの嫁ぎ先でもあります。
脇本陣奥谷斜光
高札場
水車小屋
鯉岩