親鸞と鴨長明を訪ねて日野岳に
伏見区の南東部に位置する醍醐は、古くから交通の要衝。京都と滋賀と奈良に通じる街道には数々の逸話や伝説、そして史跡が数多く残されています。平安時代には貴族の別荘地として栄えた日野は、 親鸞聖人誕生の地でもあり上醍醐寺は西国札所として、その一帯は修験道の山、として今も信仰を集めています。また 『方丈記』を著した 鴨長明の隠棲の地、日野岳があります。
日野の里から方丈石(庵跡)・日野岳
日野岳(373m)
日野岳は京都市伏見区日野と宇治市炭山を繋ぐ供水峰の北に所在する山。
『方丈紀』に「日野山の奥に跡を隠して」と名が見える山であり、その筆者である鴨長明が晩年を過ごし、『方丈記』を著した隠棲の地として知られている。
親鸞と日野誕生院
日野の里(京都市伏見区)。この地を領有する藤原貴族の末流・日野有範の長男として親鸞は生まれました。母親は、清和源氏の八幡太郎義家の孫娘の吉光女であったと伝えられている。
親鸞6歳の姿を写した銅像、得度式に詠んだという和歌の碑が建てられている。
『明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』
日野誕生院前から望む日野岳
法界寺は親鸞聖人の誕生の地と伝えられている、日野の里にある真言宗醍醐派の寺院です。この地には元々藤原氏の流れを汲む日野氏の伝領地があり、そこに日野家が別邸を建てたことから日野の里と呼ばれてきました。日野家の氏寺でもある法界寺は日野資業が創建したもの。親鸞の幼き頃、日野岳を望んだかな?・・
日野家の氏寺・法界寺
日野御廟所・日野家歴代を祀る御廟所で
遠望に日野岳
日野岳に向かう途中の日野誕生院の裏に「日野御廟所」がある。ここは、親鸞聖人の父・日野有範や母の吉光尼をはじめ、日野家歴代を祀る御廟所です。これから日野岳の登山口であ日の野外活動施設に向かう。
日野岳ルートマップ
日野岳登山口・右に進む
鴨長明方丈石案内標識
登山口から進むとすぐに鴨長明方丈石の案内標識がある。ゴロ岩の多い道を沢沿いに登っていく。
ゴロ岩が多い道
沢沿いの道
長明方丈石
登山口から約450m(標差112m)ほど登ると長明方丈石に着く。大岩の左から廻り登ると方丈の庵跡に着く。
方丈石廻り登ると方丈の庵跡に
方丈の庵跡
鴨長明の庵 想像図
日野の草庵
鴨長明の方丈庵:今からさかのぼること約800年前。『方丈記』を書いた鴨長明さんは、移動式の「方丈庵」家の広さは一丈四方(5畳半)ですから、方丈庵とでもいいましょうか。高さも7尺(約2.12メートル)くらいです。
そして、「仮の庵だけが穏やかで、何の恐れも無い」、「身の程を知り、世間を知っているので、野心を持たず、あくせくしない。ただ、静隠であることを望みとし、不安が無いのを楽しみとしている」と記されています。
〔二九〕いま日野山の奥に、跡をかくして後、東に三尺余りの庇をして、柴折りくぶるよすがとす。南に竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚(あかだな)をつくリ、北によせて障子をへだてて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかけ、前に法花経をおけり。東のきはに蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に竹の吊棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち、和歌・管弦・往生要集ごときの抄物を入れたり。からはらに、琴・琵琶おの々一張を立つ。いはゆるをり琴・琵琶これなり。かりの庵の有様・かくのごとし。
供水峠案内板
シダのしげる道
日野岳北尾根369ピーク
シダの山腹が美しい
供水峠のお堂
日野岳