美濃国守護土岐氏最後の居城!!

 大桑城(おおがじょう)は美濃守護土岐氏の居城です。天文4年(1535)、長良川の洪水をきっかけに、大桑地区に守護所を移し、大桑城や城下町を整備されたとされている。移転後わずか16年後に大桑城で戦いがあり、守護土岐頼芸が斎藤道三によって追放されている。それに伴って廃城になったとされている。

大桑城跡の古城山は二等三角点の山で 基準点名は「大桑城山」

 探訪日2020/03/19

駐車場から登山口へ
 大桑城は標高407.5mの古城山に築かれた山城です。人工的な防御設備をほとんど用いられていません。駐車場からしばらく進むと案内板があり縄張りを探索しながら登るには、左に折れて登山口に向かう。

登山ルートマップ

案内標識

登山口

 林道が狭くなり登山道の案内板があり、ここから尾根に向かう。南尾根のやや傾斜のきつい登りが続く。登山口から400mぐらいで(標高238m)なだらかな登りになる。しかしすぐに九十九折りの登りもきつくなる。

尾根に向かう

整備された道

大岩

 ややなだらかな標高235mから標差80mぐらい登ると東への尾根を左に回り込むように越えていく。回り込むと番所跡がある。

灌木の明るい道

東への支尾根

番所跡

 九十九折を登りきると「番所跡」がある。伝石門は巨石で区画された城の出入り口。ここには石垣も見受けられる。番所を過ぎてさらに九十九折の急傾斜を登ると馬場との分岐に着く。

石垣

馬場への分岐

伝馬場

 番所を過ぎて馬場分岐で左に折れて伝馬場跡に立ち寄る。尾根沿いに広大な曲輪がある。馬ならし場があったとされる。馬場から登城路に戻り少し進むと堀切がある。尾根の左右が切れ落ちて堅堀となっている。

敵の攻撃は分断される

堅堀

石積が確認できる

 馬場分岐から進とすぐに堀切がある。堀切を過ぎるところに石積みがみられる。やせ尾根で左右が深く切れ落ちている。前方に小ピークがありここを左から巻いていくがここにも石積みがみられる。ここを過ぎると堅堀がある。

石積み

横移動を封鎖する堅堀

切井戸の分岐

 樫堀を過ぎると切井戸の分岐になる。切井戸に立ち寄るが急傾斜で転倒に要注意の場所だ。金鶏伝説の井戸です。登城路に戻りすぐに曲輪群がある。少し下ってみるが何段もの曲輪群が確認できる。

伝切井戸

曲輪群

主郭への急登

 伝台所から急登を登ると頂上直下に小広場の天守台がある。大桑城主・土岐頼芸の石碑と小さな祠がある。右方向にミニミニの大桑城(おおがじょう)が見える。

石積み

伝天守台

ミニミニ大桑城

二等三角点の古城山

天守台から金華山を望む
天守台から金華山を望む
遠望に能郷白山
遠望に能郷白山

四国堀跡

 大桑城下の谷筋をふさぎ止めるように造られた空堀と土塁の後がある。堀の深さ5m、幅約8mで、土塁の長さは約100mにわたって残っている。尾張、伊勢、越前、近江の4つの国の加勢を受けて築いたと伝えられている。

明智光秀の墓とされている。