総石垣からなる巨大な城!!

  近年の発掘調査では、焼亡したのは天主を中心とした主郭部だけであることがわかっており、城全体の98%はそのままの形で残っていた。本丸天主を除く城の建物の多くは、天正十三年(1585)の羽柴秀吉による近江八幡山城築城に際して城下町ごと移転させられたものと考えられている。移転後の城跡には秀吉が信長を弔うために墓を造営し、城と墓を聖地として守ることを摠見寺に託した。この配慮はその後、幕末まで徳川幕府でも将軍の朱印という形で代々続けられている。
 探訪日2020/02/21

 
安土城大手道入り口
安土城大手道入り口

西側石塁の枡形虎口

東側石塁の枡形虎口

西側上段郭と竈跡

伝前田利家邸跡

 ここは、織田信長の家臣であった前田利家が住んでいたと伝える屋敷の跡です。大手通に面したこの屋敷は、向いの伝羽柴秀吉邸とともに大手道の守りを固める重要な位置。

伝羽柴秀吉家邸主殿

 ここは、織田信長の家臣であった羽柴(豊臣)秀吉が住んでいたと伝える屋敷の跡です。接客や主人の生活のために使われた中心的な建物(主殿)

伝羽柴邸から大手道石垣

 摠見寺は臨済宗妙心寺派の寺、安土城築城の際、信長公が他所より移築し安土城本丸の西方の峰に自らの菩提寺にしたと伝えられている。

摠見寺

大手道の最上部

 伝武井夕庵邸

摠見寺墓地

右 天主・本丸跡

黒金門

黒金門

圧倒される黒金門の石垣

黒金門からの天主跡周辺図

仏足石:昭和初期に石垣の中から発見された。

二の丸跡石垣

本丸

天主へ

 背丈ほどの高さの石垣に囲まれた台地。礎石が整然と並んでいる。安土城の天主は、完成してわずか三年後の天正10年6月に焼失してしまいました。

天守台から琵琶湖と比良山系
天守台から琵琶湖と比良山系

二の丸

織田信長公本廟

 信長公の本廟

 天主跡西下の二の丸跡に信長公の本廟がある。羽柴秀吉は三法師に年賀を表すべく登城し、翌二月信長公ゆかりの安土城二の丸跡に遺品を埋蔵して本廟としたとのこと。

摠見寺への石段

摠見寺入り口

三重塔

 山の中腹に見える三重塔は、室町時代の建物で天正3~4年に信長公が甲賀の長寿寺から移築されたものとされている。仁王門は「甲賀武士山中俊好建立」とあり、信長公が天正年間に甲賀から移築された。

摠見寺址

仁王門(楼門)

摠見寺址から見下ろす西の湖
摠見寺址から見下ろす西の湖
安土城址の安土山